1950年、神戸に生まれる。
父が趣味で読んでいた月刊の写真専門誌を何回も覗き、母に叱られる。以降写真に興味を持ち今も風景、家族、好きな被写体を撮り続けている。中学生の時は写真部の副部長も務めた。
大学時代、超肥満の友人に誘われ戸隠の村営スキー場に生まれて初めて行った。緩斜面でボーゲンも出来ないまま上級者リフトで上まで登り詰め、静寂で凛とした寒さの白樺の林間を転倒繰り返し汗だくになって降りた時の「凍りつくような白銀の醍醐味」が大好きになり、スキー愛好者となった。
人の健康に役立つ仕事に志を持ち徳島大学大学院で修士課程を終了(1975年)。
卒業後、健康に関わる医薬品を製造する会社に勤め東海大学と米国カリフォルニア大学の医学部で栄養学、口腔衛生学、皮膚科学、老化防止学を学び医薬の研究開発を経験した。学会発表40件、論文発表28件、特許出願5件、著書1件、1985年に東海大学で医学博士号を頂いた。
米国エドガーケイシー関連の健康法に興味を持ち、兵庫県で開業されておられたカイロプラクターの岡山武次郎先生と知り合った。カイロプラクティックは単純で斬新な治療法であることを目の当たりにして西洋医学の位置づけは一変した。健康を左右する最大のものは栄養学で、二番目は医薬の投与と考えていたのが、体に直接触れる方法があることを知り人生後半は療術の健康法を選んだ。
略歴
徳島大学医学部大学院栄養学研究科修士課程終了('75)
ライオン株式会社研究所勤務('75~'88)
東海大学医学部研究員('78~'81)
カリフォルニア大学SF校医学部交換留学生('82~'85)
大阪府療術専門学院卒業('96)
カイロプラクティック師認定証('96)(近畿療術師連絡協議会)
アプライドキネシオロジー講座終了('97)(近畿療術師連絡協議会)
ガンステッド講座終了('97)(近畿療術師連絡協議会)
ジョン・アプレジャー財団CSTセミナー初級('99)、中級('02)終了
西日本カイロプラクティック業協同組合副理事長('04~'06)
カイロプラクティック業協同組合副理事長('04~'06)
日本療術業協同組合 専務理事
全国カイロプラクティック研修機構 専務理事
徒手療法師(一般社団:日本徒手療法師会 '21~)
現在は、日本カイロプラクティック徒手医学会、日本療術学会、日本統合医療学会に所属し学術活動に専念している。
日本カイロプラクティック徒手医学会 2008年度最優秀論文賞受賞
同学会 2009年度優秀論文賞受賞
同学会 2010年度最優秀論文賞受賞
社会に、手技療法は科学的な根拠に基づき、高い水準の医療であることを知らしめることをライフワークとしている。
30代の頃、米国人のエドガーケイシーにまつわる医療関連の本を読んでいました。その中で、米国の手技療法であるオステオパシーとカイロプラクティックの存在を知ったのですが当時はまったく興味がありませんでした。
その後、母が変形性膝関節症で整形外科医院に通院するようになりました。しかし、数年通い続けてもさらに悪化し、歩行できなくなっていくのを見かね、別の治療手段にゆだねた方がよいと決め、聞き覚えのあるカイロプラクティック院を訪れました。
思えば、これが私とカイロプラクティックの出会いでした。 実家の母と近くで開業されておられた芦屋カイロプラクティックの岡山武次郎先生の元を訪れたのは、平成3年5月のことでした。膝痛の原因について説明を伺い「膝痛を治すのはこれだ」と直感しました。
それは私の想像を超えた単純で斬新な医学理論。医療で使用する膝固定ベルトや薬物療法の治療法はあてにならないと納得。エドガーケイシーと手技療法にまつわる医学見識は信じるに値し、当時の私の仕事であった医薬開発よりも、意味のあるよう事のように写りました。
過去の研究実績に引かれることなくここは本物があると大きな決断をし、療術業に転進を決心。 思えば、健康を保つのはどうすることが必要なのかをずっと探し続けていたように思います。
オステオパシー&カイロプラクティックは、いわば西洋版の整体です。古くはアリストテレスの時代に整体の重要性は説かれました。「体を整える」は医療の原点なのです。東洋版より西洋版が優れているところは解剖学を基礎としている科学的な思想で誰にも分かるところです。
手技による施術と相性がとても良い腰痛や肩こり症は脊椎原性疾患と総称されます。その症状は生死を左右する危険性をはらんでいませんが、生涯にわたった生活の良し悪しを左右しています。
かつて私は老化を制御する物質の研究開発に携わったことがあり、老化を遅らせるプログラムは分かりませんでした。しかし、今日、年をとって寿命が尽きるまで肉体と精神は快適な状態で過ごすせる最良の妙薬とは今の療術であることをつくづく思います。
健康を保つのにもっとも重要な施策は体から排泄をしっかりすることと栄養素の補給、そして、脊柱の歪みを調整することです。
元々医者が手を当てて診ることから医療の世界でも「手当てをする」とは言われるようになりましたが、私たち手技療法者の手当ては脊柱の歪みを調整することです。それにより、健康を取り戻すのが私たち「手当をするプロ」であり、カイロプラクティックの果たす役割の大きさを今日では強く感じています。
体の歪む原因が解ると、効率的な手技の手順が判るので患者さんの早期な回復と予防方法が確立出来ると言うものです。
療術が現在の医療治療法よりも優れることが裏打ちされれば、手技療法こそが脊椎原性疾患への初期治療の標準指針にもなり得ます。
それは、現代医療の枠組みではなかなか成し得なかった既存医療と融合するチャンスにもなります。肩と腰部の症状は脊椎原性疾患であり、読んで字のごとく脊柱全体が原因なのです。
医療がこれらの疾患にボタンの掛け違いを行っていることは、木を見て森を見ていないことが原因なのです。腰痛で医療機関にかかっても、大勢の人はつらい症状が改善されません。
私たちの提供する手技療法は施術を重ねることで、日進月歩進化します。そうして進化した技術を、現代医療の整形外科、整骨院や針灸、マッサージ院と連携、融合し合い日本から世界に誇れる優れた医療基準を作りたいものです。
吉野 和織(ヨシノ カズオ)
◆カイロプラクター◆療術師
療術師(内閣府移行認可一般社団法人
全国療術研究財団認定)、カイロプラクター
1986年小田原市にて出生
静岡県袋井市で幼年期以降現在に至る
磐田東高校2004年卒業
2008年大阪府療術師会入会、療術師研修
2010年研修終了
(第1866号)
卒業後、浜松桜カイロプラクティック院に勤務。
同院院長の内弟子となり
桜カイロプラクティック院の心技、からだについて学び、現在火曜、水曜、金曜日は浜松院の主任を担当。
カイロプラクター歴12年
日々、皆様に丁寧な施術を心がけています。
2017年より大阪府療術師会にて膜リリースセミナー参加しbasicコース終了
徒手療法師(一般社団:日本徒手療法師会 '21~)
◆臨床研究活動
日本療術師学会の学術大会にて論文発表
直近の発表
2016 全国大会in愛媛
2017 全国大会in大阪
この仕事に就いたきっかけ
21歳の夏、原因不明の頭痛に襲われました。一日中、強烈な痛で夜も普通に眠れないそんな日が3日間続きました。
市販の頭痛薬は効かず、痛すぎて鎮痛剤の使用に踏み切りました。
当たり前の様に効果はなく、本当に参りました
しかし、今は普通に問題なく日常生活を送っています。
これを改善させたのが後頭部と筋膜の調整
つまりカイロプラクティックでした。
この後、全国的に先進的な研修を行っている大阪府で学び、現在に至ります。
学んだ研修所は「大阪府療術師会」
私が学んだ時は中区の谷町に研修所があり大阪城から西に少し行った所です。
浜松から新幹線で新大阪に行き、JRで大阪へ。谷町線東梅田から谷町4丁目と、電車をいくつか乗り継いで通いました。
趣味
小さいころから歴史が好きで、これは大人になっても現在進行形です。
最初は男の子らしく、戦国ロマンから始まり、大人なるにしたがって古代エジプトやローマ、ゲルマンの大移動にオスマン帝国。胡椒を求めたヨーロッパ、などなど。
国内では縄文と弥生、大陸と日本列島の関係。皇室と武士、貴族社会が終わり、武家社会が始まった理由、などなど。
ジャンルが広がっていき、今に至ります。
史跡散策
設楽・長篠古戦場跡、高天神城跡
建造物鑑賞
三笠記念館、久能山東照宮
映画鑑賞(特に好きな映画)
遠すぎた橋
史上最大の作戦
二百三高地
U-571